広報オンライン(アーカイブ)
May 10, 2023
「久邇宮御殿文庫」
▼久邇宮御殿(1919年竣工)に、良子女王殿下の御學問所がありました。▼当該御學問所は、1918年、麹町一番町の久邇宮御殿内に設へられたものを澁谷の新久邇宮御殿(1919年竣工)にお移しになったものです。▼その後当該御學問所は、1933年、久邇宮家から東京府(麻布日ヶ窪の府立第三高女)へ御下賜されました。▼現在は、「仰光寮」として、目黒区大橋の東京都立駒場高等学校内にあります。
▼さて、「仰光寮」は澁谷の新久邇宮御殿内では、いずこにあったのでしょうか?
▼『欽仰録』(大正十三年六月十七日、富山懸師範學校)を見ると、「仰光寮」のあった場所が記されています。▼「良子女王殿下 二 御學問所」(p.82)に「東京市外下澁谷なる久邇宮御殿の御通用門を入る。通路が一町ばかりトンネルになつてゐて、それを抜け切ると老松蔭も小暗き中に嚴に立つ御殿の御車寄の前に出る。その御車寄に向かつて左側の木立越しに拜する日本建築のお屋根が、良子女王殿下の御起居遊ばす御學問所である。」とあります。▼これに依れば、ここの向かって左側に御學問所があったことになります。
▼向かって左側を見てみると、ここになります。
▼現在は、1号館メディア学習支援センター附近から曳家された久邇宮御常御殿(1924年竣工)があります。▼当該久邇宮御常御殿が曳家される前は、ここに御學問所があったかも知れません。