広報オンライン(アーカイブ)
August 22, 2023
「岩下文庫」
▼岩下龜代が掲載された『帝國銀行會社要錄 』(第五版、大正五年十月廿三日)という資料があります。▼当該掲載箇所は、東京府 會社(ほ)「星製藥株式會社」(p.77)です。▼当該箇所の「●大株主」に、第三順位として「四〇〇岩下龜代」の記載があります。
▼ここで、「しながわデジタルアーカイブ」の「星製薬の創業」(https://adeac.jp/shinagawa-city/text-list/d000020/ht001550)を閲覧します。
▼「(略)三井銀行から大阪北浜銀行の頭取に転じた岩下清周また後に昭和二年の金融恐慌のとき大蔵大臣をやった片岡直温らがおり、星の製薬事業の展開の上からも、有力な応援者となった。具体的には(略)・岩下清周・片岡直温らが匿名組合で、二万五〇〇〇円の資金を提供してくれたのである。かくて明治四十四年、資本金五〇万円の星製薬株式会社を設立、北浜銀行岩下清周からも融資をうけ、まもなく一〇〇万円に増資したときには、松方幸次郎や片岡直温、(略)らを重役陣に加えたのである(大山恵佐『星一評伝』星薬科大同窓会『星一先生の横顔』)。」とあります。
▼岩下清周は、岩下龜代の父です。▼また、片岡直温及び松方幸次郎は、前記の「●大株主」に、同じ第三順位として「四〇〇岩下龜代」の次に「四〇〇片岡直溫」「四〇〇松方幸次郎」と記載されています。▼岩下龜代は、重役陣と同数の株式を保有していたと考えられます。