広報オンライン(アーカイブ)
April 01, 2024
「久邇宮御殿文庫」
▼野村禮讓(久邇宮附宮内事務官)が掲載された「松籟」(第壹號、明治三十一年四月三十日、乙未㑹)という資料があります。▼当該掲載箇所は「彙報 第二期の乙未㑹」(p.93)で、内容は以下のとおりです。
明治三十年七月十八十九の兩日を期して、第三囘聯合競漕大㑹を大津打出が濱に開く、㑹員の來り集まるもの四五百名、全國有名の學校槪ね其責任選手を出さざるはなし、實に天下の壯観たり、本寮(※筆者註:京都本願寺文學寮)は(略)左の諸子を擧げて責任選手となす、
第一選手 (略)
第二選手 (略)野村禮讓(略)
第二選手は滋賀師範の第二選手及び混合と勝を爭うて、見事に勝利の月桂冠を戴き(以下略)
このことから、野村禮讓は京都本願寺文學寮に在寮し、短艇部の選手として活躍していたことが分かります。