広報オンライン(アーカイブ)
December 06, 2017
「久邇宮御殿文庫」
▼『邦彦王行實』(久迩宮、昭和十四年(1939年)4月)に、昭和三年(1928年)頃までに、多数の画家によって久邇宮御殿の襖、杉戸、格天井等が揮毫された旨、記載があります(358頁)。▼そして「主たる揮毫者」の中に、「川北霞峰」の名が挙げられています(358頁)。
▼この記載を確認すべく調査を開始し、1年ほど経った先日、インターネットで『霞峯遺墨帖』(昭和十六年(1941年)12月20日、編輯兼発行者 川北孝夫、川北塾門下生一同)に係る数枚の画像に出会いました。▼「目次」は、「目次」は・・・、「目次」ありました。
▼久邇宮家御所蔵襖絵は、作品集の先頭に所収されている場合が何例かあったため、「目次」のそこを確認すると、判然とはしませんが「久邇宮」らしき文字が・・・。▼早速、当該書物を入手し、開いてみると、「一 吉野山圖 (襖四枚 昭和三年作) 東京市 久邇宮家御所蔵」の襖絵が所収されていました。
▼当該襖絵は久邇宮御殿のどこかにあったと推測されます。▼『邦彦王行實』の記載事項と、『霞峯遺墨帖』の所収作品がつながった瞬間でした。▼さて、それでは「どこかにあった」かというと、・・・。その答えに辿り着くことはできるでしょうか。